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Izumi

 泉麻人さん  コラムニスト・気象予報士
いずみ・あさと=「週刊テレビガイド」等の編集に携わった後、フリーコラムニストとして独立。「新東京23区物語(新潮社)」「東京検定(情報センター出版局)」など著書多数。2007年3月に「東京版アーカイブス(朝日新聞社)が刊行される。

 

 近頃、旅行やグルメ情報の世界では「リピーター」(気に入って何度も訪ねる人)という表現がすっかり定着した感があるけれど、本にもそういったリピート度の高いものがある。僕の場合は、松本清張や「内田百ケン(ひゃっけん)」<※「ケン」は門(もんがまえ)に月>の作品群がそれに当たり、「百ケン」の作品の中でもとりわけ気に入っているのが、短編集『東京日記』(岩波文庫)の〈その一〉として書かれた1500字程度の短いお話。

 市電が日比谷にさしかかったところで、にわか雨が降ってきて、故障した電車から降りると、やがて横の堀から巨大なウナギが出現、数寄屋橋方向に去ってゆく……という、「百ケン」お得意の随筆とSFを織り交ぜたような作品である。

 「私の乗った電車が三宅坂を降りて来て、日比谷の交差点に停まると車掌が故障だからみんな降りてくれと云った。」

 そんな書き出しで始まって、日比谷付近の情景が細かく描写される。昭和13年の発表というから、「百ケン」が乗ったこの電車は、マニア書で調べてみると、おそらく6系統の渋谷・三原橋線か、11系統の新宿・築地線のいずれかであろう。

 降雨で堀の水面が不穏になっていく様子がていねいに描かれたあと、いよいよあふれ出した堀から“怪生物”が姿を現す。

 「往来に乗った水が、まだもとのお濠(ほり)へ帰らぬ内に、丁度交叉点寄りの水門のある近くの石垣の隅になったところから、牛の胴体よりもっと大きな鰻が上がって来て、ぬるぬると電車線路を数寄屋橋の方へ伝い出した。頭は交叉点を通り過ぎているのに、尻尾はまだお濠の水から出切らない。」

 この“頭と尻尾”の距離感が絶妙で、不気味なムードを醸し出している。そして、一番ぞくっとくるのは大ウナギが去ったあとの状況。

 「方々の建物や劇場の雨に濡れている混凝土(コンクリート)や煉瓦の緑と、二寸三寸ばかりの小さな鰻があっちからもこっちからも這い上がって、あんまり沢山重なり合ったところは、黒い網を揉み上げるように撚(よ)れていたが、何階も上の窓縁まで届くと、矢っ張りそれがばらばらになって、何処かの隙間から、部屋の中に這い込んで行くらしい。」

 道端に堀がせまる日比谷交差点の雰囲気は、当時とはほぼ変わっていないから、僕はあの一画にくるたびに、通り沿いのビルの壁面をもぞもぞと這い上がるウナギの姿……などを想像してしまう。

 「内田百ケン」の「東京日記」──あまり本を読まない、ホラー映画やお笑い好きの若い人にぜひおすすめしたい短編集である。

※「ケン」は機種依存文字のため、カタカナ表記とさせていただきました。

Photo_22 出版社:岩波書店
書名:東京日記
著者:内田百ケン
定価:630円(税込み)

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