河村常雄の劇場見聞録

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日本舞踊梅津流家元の梅津貴昶が5月13日、東京・千駄ヶ谷の国立能楽堂で初めて「別会・梅津貴昶の会」を開き、長唄の大曲「京鹿子娘道成寺」を黒紋付の素踊りで踊った。先行作品に能「道成寺」を有するとはいえ、日本舞踊を能で洗い上げた、迫力ある好舞台であった。
歌舞伎舞踊でおなじみの安珍清姫伝説の後日譚だが、いつもとは一部歌詞が違い、構成も変わっていた。踊り手たった1人で大曲に挑戦した貴昶に聞くと、「道行」は義太夫を使わず、謡「道成寺」の詞章を活かし、本行に近い長唄「紀州道成寺」を使用した。緊迫感の中でいつの間にか、「恋の手習」などのある華やかな「京鹿子娘道成寺」の世界に誘うのが狙いだそうだ。歌舞伎舞踊に登場するにぎやかな所化の踊りはなく、約1時間ひとりで踊る。長い乱拍子は7分におよんだという。全力投球のあと、橋掛かりを帰っていくスリ足は感動的だった。
 昭和60年に家元就任、歌舞伎座で披露したが63年、病に倒れ、2回目の歌舞伎座公演が体力的に難しくなった。そんなとき、地唄舞の芸術院会員・武原はんに熱海のMOA美術館能楽堂で踊らないか、と誘われた。「脇からも見られているので行儀がよくなるのでは」と引き受けたのが能楽堂で踊った始まりで、今では歌舞伎座公演と並ぶ公演活動の大きな柱になっている。
日本舞踊にとって今大切なことは何かと尋ねると、温故知新の精神と答えた。「なぜ先人はこうしたか、物質文明の進化する前はどうだったのか」を考えることが必要というのだ。今回の能楽堂版「娘道成寺」も温故知新の一環であることは間違いなさそうである。

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 <見>歌舞伎や能楽、文楽、邦楽、舞踊、そして新劇、ミュージカルなどあらゆる分野の劇場公演の中から、「面白い!」と思ったものを紹介します。従って、褒め上げる記事ばかりです。 <聞>出来るだけ、出演者やスタッフに「面白い!」わけを聞き、紹介します。

河村 常雄

 1973年入社。水戸支局、整理部(現・編成部)の後、学生時代より歌舞伎に興味を持っていたことから芸能部(現・文化部)に移る。演劇担当、デスクを経て、専門委員。この間、文化庁芸術祭・芸術選奨の演劇部門審査委員、鶴屋南北戯曲賞選考委員などを歴任。現在、読売日本テレビ文化センター勤務。著書に「かぶき立ち見席」(演劇出版社)。

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