写旬こぼれ話

本文です

Photo_2岩手県釜石市の市民や出身者が愛する「味」があります。地元の醸造メーカー「藤勇醸造」製造する醤油「富士」がそれです。震災直後、津波に浸かった商品を無償で市民に提供し、その醤油で被災した釜石市民たちは避難所で温かい食事を自主的に作ることができたそうです。「地元で育んできた味ですし、地元に愛され、支え続けられた会社ですから従業員皆濡れていながらも未開栓の商品を皆さんに役立てて欲しいと思うのは自然の流れでした。」と同社専務の小山和宏さん。幸いにも今回の震災で同社従業員の死亡はなし。昭和三陸大津波や太平洋戦争の米国戦艦からの艦砲射撃などを経験し、同社社屋罹災は今回で3回目だそうです。今回は津波で被災、現在は醤油とダシを生産しており、味噌は再生産できていませんが、近々製造ラインも復活させる予定だそうです。(小山さん談) 

また醤油を再出荷しだした昨年6月1日には待ちかねた多くのメール注文や励ましのコメントが殺到、涙を浮かべる従業員の姿もあったそうです。初出荷の醤油は、そういった愛用者に対して気持ちを込めて1本1本、手作業で瓶詰をしていったとのことです。
市内のスーパーなどではメインの棚に同社製品が並ぶのが釜石市内のスーパーの普通の光景。釜石を巣立っていった人が(首都圏で住む釜石出身の人など)が実家に同社製品を郵送して欲しいと在住の親に依頼することも多いといいます。「これでなきゃ、母の味、故郷の味は再現できないよ」そういう声と共に、今日も釜石の町で「釜石の味」は育まれています。(教)

ただ今、量産中

2012年2月 4日

岩手県陸前高田市の大野湾に面する浜辺に、真新しい小型漁船がずらりと並ぶ。繊維強化プラスチック(FRP)で成形された船体に、杉材の床板が張られている最中だ。

Fune
津波で壊滅的な被害を受けた漁業の再生に船は欠かせないが、既存の造船所は修理船で満杯だ。そこで、前職・大工の腕を買われた漁業村上栄さん(52)が、自身のわかめ養殖作業に区切りが付いた先月中旬から製作を本格化させた。

150隻を作り上げる予定で、天然のウニやアワビの漁に使われる。

村上さんは、「船を流され漁が出来ないでいる多くの仲間が待っている。6月のウニ漁に間に合うように、1日も早く完成させて届けたい」と話した。(剛)

新しい年を迎えた宮城県気仙沼市で、ちんどん屋にふんした商店主らが初売りの仮設商店街などを練り歩いた。

Chindon
ちんどん屋の結成は約20年前のこと。衰退する商店街の商店主らが空き店舗対策として立ち上がったのだった。

東日本大震災による津波で、商店街は破壊され、メンバーも全員が被災した。衣装や道具は幸いにも被災を逃れ、活動の目的は「空き店舗対策」から「地域の復興」へと変わった。

店舗1階部分が津波で破壊されたため、現在は2階でブティックを営む石川尚美さん(58)は「復興に向かって頑張れるようにみんなを元気にしたい」と威勢良く鐘と太鼓をたたいている。(剛)

広田保育園にて

2012年1月28日

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 陸前高田市の広田保育園。ウクレレを手に訪れたのは、小津智一さん(39)。父親の育児参加の大切さや楽しさを伝えるため、各地で絵本の読み聞かせなどの取り組みを行っている「NPO法人ファザーリングジャパン」の理事で、この日ははるばる福岡からやってきました。
 2児のパパでもある小津さん。子どもの扱いはお手の物。軽やかにウクレレを奏で、 歌うような、そして時に優しく、時に強く、緩急つけた語り口で絵本「3匹のヤギのガラガラドン」を読み上げていくと、たちまち子どもたちはくぎ付けに。本格的な冬を迎え、凍てつくような寒さに包まれた被災地の保育園に、優しい音色と園児たちの元気な笑い声が響き合っていました。
 「どんな絵本を持ってくるか悩んだんですが、やっぱり子どもたちに元気を与えたいと 思って、選りすぐりの”笑える絵本”を持ってきました」と小津さんもニッコリ。「今後も是非、こうして被災地を訪れたいですね」と話しておられました。
Photo_2  この日は他にも、同じく福岡から訪れた、情報誌「子づれDE  CHA・CHA・CHA」を発行している株式会社フラウの山形美香子さんが、いちごの絵本の読み聞かせを行ってくれたりもしました。
   
「震災以来、全国から、たくさんの方々の支援を頂きました。”応援が力になった”などと試合に勝ったスポーツ選手などがよく言いますが、その言葉を本当に実感しています。皆さんにはなんとお礼を申し上げてよいか分かりません」と話すのは園長の藤倉啓子先生。

「昨年秋頃には、愛知県に住む98歳のおばあちゃんから手編みの毛糸の帽子が届いたんです。自分のボケ防止のため、なんて冗談っぽいこともお手紙に書いてありましが、こちらの寒さを心配し、編んでくれたんですよね。それに北海道のご夫婦は、ハサミや洗濯ばさみ、ハンカチや靴下など、日常生活の中でふと必要になるものをたくさん詰め込んで送ってくれました。そのご夫婦は一度、車でわざわざこちらまで足を運んでくださったこともあるんですよ。 そういうお一人お一人の温かいお心遣いが本当にうれしくて」。園長先生は涙ながらに話してくれました。

「震災から10か月。子どもたちも、保護者の方々も、見た目には落ち着きを取り戻していますが、震災の記憶からか、調子の良くない子どももいますし、未だに仕事を失ったままの親御さんもいらっしゃいます。大変な状況は続いています」。

 この広田保育園、ちょっとした高台にあるのですが、津波で床上30センチくらいまで浸水しました。園児たちは先生や隣接する中学校の生徒たちと一緒に裏山の斜面をよじ登り、津波から逃れたそうです。

 幸いにも建物の大きな損壊はなかったのですが、海水に浸ってしまった机やイス、遊具などは、職員のみなさんがひとつずつ洗い、消毒を重ねたそうです。
 その甲斐あって、すっかりきれいになった保育園ですが、津波の被災エリアでもあることから、将来的には高台移転をしなくてはなりません。現状はあくまで仮設ということになり、この場所における復旧工事の費用などは、多くが園の自己負担だそうです。「その費用をどうするか、正直、大変なんです・・・。裏山の斜面にも、きちんとした避難道も作りたいのですが、いずれ移転となると、行政もなかなか動いてくれなくて・・」。

 高台移転の計画があるものの、具体的にはまだあまり決まっていません。
 「生活は落ち着いてきた。でも復興は、まだまだ遠い」。そんな声がいくつか聞こえてきました。
 広田保育園も、一歩外に出れば、がれきこそ大半が片づいたものの、津波で家々が流された空き地が広がり、大破した防潮堤はほとんど手つかずのまま。
 身を切るような冷たい風が容赦なく吹き抜けていきます。
 
 そんな中、温かい支援、そして子どもたちの元気な笑顔が、懸命に生きる人たちの心を温めています(鉄)

Photo 被災飲食店主らの移動販売車「キッチンカー」の屋台が登場しました。釜石市内の青葉通りというイベントなどが開催できる大きな通りのスペースに週末の3日間、最大で4店舗が開店します。営業時間は概ね日没くらいから22時まで。昼間は移動して釜石市内や隣の大槌町界隈でランチなどの営業をしており(昼間の移動営業をする店舗は全6台)、被災地の皆さんや復興作業に携わる方々の胃袋を満たしています。「キッチンカー屋台」は車両外側に張り出す形で客席を確保。最大でも5~7人で満席の対面カウンタータイプです。木枠にシートと簡易ながらも膝掛けや暖房もあり寒さは全く感じません(撮影者体験談)。店主の福士達也さん(写真右)は、釜石市鵜住居町生まれだそうです。同市内の「呑ん兵衛横町」という飲食店の近くで「和っつ」というお店を営業していました。もちろん今の「キッチンカー」の屋号も「和っつ」です。福士さんは「店主とお客さんの距離が近いのは魅力。来店される方も20~40代と幅は広いです。釜石だけでなく、こういった行動から大槌など周辺地域も共に復興しなくてはならないと思うんだよね」と心の内を語ってくれました。気がつけば福士さんや美人なアシスタントさんの雰囲気もあり、記者も両隣のお客さんたちと意気投合。出張中のさみしい心の隙間、皆さんに温かく埋めていただきました。冬の闇、ほっこりとした街中の灯(ともしび)に人々は集い、彼らの復興への語らいは熱く、そしてつきることはありません。(教)

 2006年4月から東京本社発行の夕刊社会面で始まった、写真部員が世相を切り取るフォトコラム「写旬」。紙面には掲載されなかった写真を含め、よりすぐりの作品をお見せします。取材者の胸の内や取材にまつわる裏話なども。紙面とはひと味違った「写旬」をお楽しみ下さい。

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